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めぐらし屋 を読んで

亡くなった父の遺品を整理している途中に見つけた一冊のノート。
その「めぐらし屋」と書かれたタイトルのノートには、自分が
知らなかった父が生きていた。

身内の遺品整理をしたことがある人は、生前知り得ていた故人の
姿とそのギャップを知って、愕然としたり、懐かしさのあまり
再び喪ったものの存在を感じることがある。

日常生活にひそむ際限のない反復の魔を意識してその居心地のよさ
から脱する努力を怠っていた蕗子さんにとって父の人生を辿ることは
そこから抜け出す格好の材料となったはず。

甘美なものになりがちなこの種の行動だが、蕗子さんは
「父の三十年」にべったりとすり寄るでもなく、
かといって単なる数字として粗略に扱うわけでもない。
その立ち位置がとてもいいし、爽快感さえ感じる。
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ながいあいだのひとり暮らしで、蕗子さんは、日を送ることにひそむ際限のない
反復の魔を意識するようになってもいた。そこから出て行くより留まるほうに
居心地のよさを感じるのは、たしかに一種の退行かもしれない。生活の面でも、
仕事の面でも、最近はなにかあたらしいことを見いだそうとする努力を怠っていた。
それが悪いとか退屈だとか言うのではないけれど、放っておくと、それこそ
空気の抜けた縁日のヨーヨーみたいにしぼんでいかないともかぎらない。

半日、一日、三日間、一週間、1カ月。仕事の場で用いる時間は三語以内の
漢字で表現できる。でも、そういう数字がどんなにせせこましい、また
どんなにおおらかな部位の集積からなっているかをときどき顧みておかないと、
心臓ではなくこころが鬱血してしまうような気がするのだった。三十年。
時間がそんな短い言葉で片づくはずがない。にもかかわらず、日々の暮らしの
中では、そうやってつごうよく数量化して物ごとを片づけていく勇気が必要なことも、
蕗子さんにはわかっていた。

by lagopus55 | 2007-09-08 23:50 | 読書